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2023.02.07

「灘の酒」ってなにがすごいの?【前編】 日本一の酒処で、新しい日本酒と出合う

「灘の酒」ってなにがすごいの?【前編】 日本一の酒処で、新しい日本酒と出合う

「灘の酒」とは、神戸市から西宮市に位置する「灘五郷」といわれる5つのエリアで生産された日本酒のこと。

「白鶴」や「菊正宗」、「大関」など、日本酒に詳しくない人でも知っているような、大手酒蔵もここにあります。

日本酒好きの人にとっては説明不要の聖地ではありますが、いまここで革新的な日本酒造りが行われていることは、なかなか知られていないのではないでしょうか。

今回は、日本酒好きはもちろん、ちょっと苦手という人まで、いますぐ神戸へ行きたくなる、新しい日本酒を紹介します。

【文】 コヤナギユウ (デザイナー/エディター)
給食のオバサンから書籍出版社で営業職ののち、渋谷やNYの路上で絵を売るイラストレーターへ。現在はグラフィックデザイナーに転身し、旅や体験を楽しく情緒的に表現するライター業も行い、写真も撮る。カナダ観光局オーロラ王国ブロガー観光大使、チェコ親善アンバサダー2018を務め、神社検定3級。
公式HP /Twitter /Facebook /Instagram

灘五郷の日本酒が一か所で味わえる「灘五郷酒所」

灘の酒蔵巡りをしようと思って、実際に地図でピンを立て始めると、それぞれの酒蔵は点在していて、歩いて回るのは厳しそうだ、ということに気がつきます。

また、どうやらすべての酒蔵が見学を受け入れているわけでもなさそうです。

お目当ての酒蔵が決まっていれば、そこの記念館や見学施設を目指せばいいですが、日本酒初心者のわたしには、なにがなにやら。

とにかく、よく分からないからこそ「灘五郷」に行ってみたい。そんな人にぴったりなのが「灘五郷酒所」です。

阪神本線・御影駅から徒歩8分。住宅街を縫って阪神高速の高架下をくぐると住宅街に町工場や倉庫などが点在する街並みになります。

名だたる酒蔵が集まった観光地のようなイメージを持っていると、少しおどろいてしまうかも知れません。

もともと、この地域は、木造の酒蔵が立ち並ぶ風情のある街並みだったそうですが、阪神・淡路大震災でほとんどが失われてしまいました。

現在ある酒蔵は、震災以降に再建されたものがほとんどです。

灘五郷26蔵の日本酒と「旬、地元、相性、発酵」をテーマにした小料理が楽しめる立ち飲みスタイルの飲食店です。

建物は剣菱酒造の酒蔵を改装し、2022年4月にオープンしました。

郷ごとの酒蔵名が並ぶ

店頭でコインを買い、メニューと引き換えるチケット制です。でも、やっぱり種類が多すぎて何を選んでいいか分からないですよね。

だから、おすすめは「灘五郷酒所セット」。

各郷の日本酒とペアリングできる季節の小鉢が3種類付いてきます。

トレーに使われているのは日本酒の麹造りに使われる麹蓋

一緒に運ばれてきたお品書きには小鉢と日本酒の味わい方が丁寧に書いてあり、ひとりでも退屈しません。

食と酒の感覚に神経を研ぎ澄ませられるのは、ひとり旅の醍醐味かも。

そのとき、店内の音楽が大きくなって、オーナーの坂野雅さんがマイクを手に客席を回り始めました。

利き酒チャレンジタイムです。

わたしたちは、簡単な自己紹介をしながら、お猪口を受け取ります。利き酒を誰かが当てたらもう一杯振る舞ってくれるというのです。

客席のみんなが拍手をして、お酒を迎えます。

「せっかくここに集まったのも、なにかの縁ですから! となり前後のみなさんと、乾杯していただきましょう! かんぱ〜い!」

坂野さんの一声で、杯を交わします。みんなで飲むのも、やっぱり楽しいです。

「僕たちはお酒だけでなく、体験を提供していると思っているんです。

おいしいお酒を飲んで、楽しくなれば、思い出になる。そうしたら、また来たくなってくれると思うし、友だちに勧めたくなると思うんですよね。たまたまそこに居合わせただけの人たちが、日本酒を介して楽しい気持ちになるって、お酒の醍醐味じゃないですか」

灘の酒は、力強い味わいとキレが特徴の辛口で「男酒」といわれて、江戸っ子に大人気でした。

水と米と麹の味わいを感じられる灘の酒、だからこそ食事によく合うのです。

季節が変わったら食材も変わります。次は誰と、ここのペアリングを楽しもうかなと、友だちの顔が浮かびました。

Information 灘五郷酒所
住所 神戸市東灘区御影本町3-11-2
電話番号 080-7945-8291(予約はWEBのみ)
営業時間 ︎12:00 – 21:00(日曜日は20:00閉店)
定休日 ︎月〜木曜日(営業は金土日祝日のみ)
公式サイト https://nadagogo.com/

400種以上の酵母ライブラリーと若手の熱い想いが生んだ「新しい日本酒」

「若者の日本酒離れ」なんて言葉を聞いたことはないでしょうか。

日本農業新聞の記事によれば、20〜30代の42%が「いままで一度も日本酒を飲んだことがない」といいます。

確かに、乾杯といえばビールで、ワインやチューハイなどいろいろなお酒が選べる中、わざわざ日本酒を手に取る理由がないのかもしれません。

では、この状況を、日本酒が好きな若者はどう感じているのでしょうか。

特に、大手酒造会社で働き、日本酒造りが身近であれば、なにかできることはないかと奮い立つ気持ちが容易に想像できませんか。

やってきたのは白鶴酒造。

赤い紙パックが印象的な「まる」など、全国のスーパーでも見かける大手清酒メーカーです。

創業1743年の老舗で、本社隣にある白鶴酒造資料館では伝統的な酒造りの様子を知ることができます。

2018年12月、ひとつのクラウドファンディングが立ち上がりました。

タイトルは「新しい日本酒の世界を覗こう! 白鶴酒造の若手だけで創る【別鶴(べっかく)】のお酒」。

わずか7時間で目標金額を達成し、532%の支援を集めることができたそうです。

当時のお話を直接お伺いする機会をいただきました。

お話を聞かせてくれたのは、開発メンバーの大岡和広さん(広報室)と、平井猛博さん(研究室)です。

プロジェクト立ち上げ当時の様子を語ってくれる大岡さん(手前)と平井さん

「仕事終わりにみんなで飲みに行くと、若手社員同士が部署の垣根を越えて飲むこともありました。そんな時、〝周りの人にもっと日本酒を飲んでもらいたい〟との話になるんです。

どんな酒が理想なのかという話題で盛り上がっていました。そんな中で、商品開発担当だった社員が理想の酒造りをやってみたいと、会社に直談判したんです」(大岡さん)

その方は当時31歳、入社7年目だったといいます。これまでも白鶴では若者向けの日本酒を発売してきました。

ただ、通常の開発方法ではアイデアから商品化にいたるまでに様々な制約があるため、若手の自由な発想を具現化した新しい酒が作りたいと、1年間交渉し続けたそうです。

通常業務に影響のない範囲でなら、という条件付きで2016年末にプロジェクト「別鶴」が立ち上がりました。

同じ想いを持った、部署も年代もバラバラな若手社員に声を掛け、プロジェクトメンバーは10人になりました。

「でも、僕らはまだ具体的に何を造るのかすら決まっておらず、まず何から決めていくくべきかも分からなくて、試行錯誤の連続でした」(平井さん)

まずは、同世代がどんなシーンでお酒を飲みたくなるか考え、キーワードを出し、イメージカラーから味わいに落とし込んでいったそうです。

「酵母は酒の味を大きく左右するので、イメージに近い酵母を選抜して何百回もテスト醸造を繰り返しました。」(平井さん)

それを可能にしたのが、白鶴が長年開発・貯蔵してきた400を超える酵母の存在です。

別鶴には、実用化まで至らなかった、個性的でフルーティな香りを生産する3種類の「お蔵入り」していた酵母が使用されています。

他にも、10年もの年月をかけて独自開発した酒米「白鶴錦」を原料米に使用し、一部のお酒を兵庫県産の杉樽に短期貯蔵して再ブレンドするなど、細部にまでこだわったそうです。

「これらのこだわりを表すネーミングも大切にしました。」(平井さん)

3商品それぞれのイメージに合い、シリーズとして共通点も感じられるものを探すまで200以上のネーミング案を出して検討したそうです。

こうして2年半かけて出来上がったのが、クラウドファンディングで注目を集めた「白鶴 別鶴 木漏れ日のムシメガネ」「白鶴 別鶴 陽だまりのシュノーケル」「白鶴 別鶴 黄昏のテレスコープ」です。

評判は上々で、第2弾として要望の強かった小容量の「お日様のしゃぼん玉」と「そよ風のクローバー」が発売されました。

「日本酒の可能性を覗いて欲しい、という気持ちがありました。ラベルにもその思いを込めて、デザインに工夫を凝らしています」(平井さん)

白鶴 別鶴 黄昏のテレスコープのラベルを覗くと一番星が描かれている

どれもこれまで味わったことのない、さわやかな新しさがありました。

もしかしたら、これが日本酒だといっても信じてくれないかも知れません。

そのくらい、「別鶴」はこれまでの日本酒の味わいとは別格なのです。

これを飲んだら、あの人はどんな顔をするかな、と、表情をのぞき込んでみたくなる新しい日本酒でした。

Information 白鶴酒造資料館
住所 神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5
電話番号 9:30 – 16:30(入館は16:00まで)
営業時間 ︎12:00 – 21:00(日曜日は20:00閉店)
定休日 ︎お盆、年末年始(臨時休館あり、詳しくは要問い合わせ)
別鶴ブランドサイト https://www.hakutsuru.co.jp/bekkaku/

130年ぶりに生み出された「新しい酒」と、これから

菊正宗の創業者はもともと木材商を営んでいましたが、1659年に当時最先端の製造業として酒造に手を広げたことで、菊正宗の360年余りの歴史が始まりました。

その歴史を伝える菊正宗酒造記念館が、六甲ライナー南魚崎駅から徒歩2分の場所にあります。

隣接する「樽酒マイスターファクトリー」では、伝統の樽づくりを見学することもできる

和食を引き立ててキリリと締める、そんな味わいを「本流辛口」と呼んで、時代に迎合せずスッキリとした味わいを守ってきました。

大規模醸造でありながら、江戸時代から続く「生酛(きもと)造り」を守り、奥行きのある味わい「押し味」を大切にしてきたといいます。

そんな菊正宗から、2016年3月に130年ぶりの新ブランド「百黙」を発売しました。

ここにもまた、「新しい日本酒」が誕生していたのです。

どのような背景があって、これを作ったのか、お話を聞きに行きました。

2022年現在、百黙は純米大吟醸のほかに、純米吟醸と無濾過、それに複数の原酒をブレンドした「Alt.3(オルトスリー)」、それと最高峰の位置づけとして「FUTURE」の5種類を発売している
大正14年に建造された本店の看板には「宮内庁御用達」と書かれている

「伝統を貫くことも大事ですが、その伝統を守るために、新しいことに挑戦しなければいけません。これまで、菊正宗では料理を引き立てる〝本流辛口〟を大切にしてきました。

もともと、日本酒は温めて楽しむのが主流でした。常温で飲むのは〝貧乏人の冷や酒〟などといって避けられていたものなのです。

しかし趣向の変化にともない、現在は日本酒の約7割が冷やして飲まれていると言われています。

また、食の多様化が進んでおり、これまでの〝食事に寄り添う〟菊正宗と対になるような、〝料理と並んで主役〟になって、100年続く日本酒を作ってみようと思ったんです」

お話を聞かせてくれたのは、広報の大魚健二さんです。

「菊正宗が得意な生酛造りは、酒母の仕込みには時間をかけますが、もろみを発酵させてお酒にするスピードは早い傾向があります。短期間で発酵させることで、キレのよい辛口になるからです」

しかし、大吟醸はその真逆。低温でゆっくり時間をかけて発酵させることで、香りと甘みを引き出すそうです。

「当時の弊社では、こうした造りの経験は少なかったので、初めは失敗の連続でした。磨きの度合いや発酵中の温度などの数値を少しずつ変えながら、自分たちが納得できる味が現れるまで、調整を繰り返しました。

発酵中の温度管理は、高すぎれば香りや甘みが出ないし、低すぎれば酵母が増えず発酵が不十分になる。その間の適温を探り当てるまでに、3年もの月日を要しました」

百黙のラベルを見てみると、どこにも「菊正宗」と書いていません。

「はい、先入観を持たず、まったく新しいお酒として楽しんで欲しいという思いから、菊正宗の冠をなるべく外しました。菊正宗のウェブサイトでも、百黙は商品一覧には載せず、まったく別のドメインのブランドサイトとして発表しています。おかげさまで、特別なお酒を好む海外のお客様からも注目されています」

百黙に口を近づけると、取れたての白桃のような透明感のある香りがします。

味わいもまろやかで、なめらか。するすると喉から滑り落ちます。

和食がユネスコ無形文化遺産に登録され、海外からの人気が集まっている日本酒。

それは、贈り物や特別な料亭でいただく高級酒が多く、一説によると飲酒量が低下している日本酒の中でも、高級な大吟醸などは売上を伸ばしていると聞きます。

「飾らない日常の食卓に並ぶ日本酒を、僕らは〝日常酒〟と呼んでいます。冷蔵庫に保管しておいしく飲めるような〝しぼりたてギンパック〟を発売しました。フルーティなみずみずしさが特長です。

ロンドンで開催された小売単価1,000円以下の日常酒のコンテストがあるのですが、2019年にこのギンパックは1,500銘柄のブラインドテイスティングの中で、最優秀賞を受賞しました。特別なお酒も、もちろんおいしいですが、日本酒だってもっと自宅で気軽に飲んでもらっていいんです」

値段とおいしさが比例するとは限らない。そんな当たり前なことに、ハッとする思いでした。

Information 菊正宗酒造記念館
住所 神戸市東灘区魚崎西町1-9-1
電話番号 078-854-1029
営業時間 ︎9:30 – 16:30(10名を超える団体は要予約)
定休日 ︎年末年始
百黙ブランドサイト https://hyakumoku.jp/

日本酒はおじさんが飲むもの。そんな価値観すら、古いものになっていくのかも知れません。

古いも新しいも、安いも高いも、難しいことは気にせず、お酒を気軽に飲んでみていいんです。

今回の旅のお土産は、わたしにとって冒険の扉を開けてくれる「新しい日本酒」になりそうです。

後編では、灘の酒の秘密をもっと知りたくなって、神戸の米と水、そしてこれからを探しに行きます。

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