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COLUMN

2021.04.06

神戸きってのファッショニストは、 84歳・現役インスタグラマー

神戸きってのファッショニストは、 84歳・現役インスタグラマー

セレクトショップ「hananoki」オーナー・インスタグラマー
木村眞由美さん

この街に住む人の暮らし・仕事・想いを紐解いてみると、今の神戸が見えてくる。

今回は、84歳のファッショニスタ、そしてインスタグラマーとして活躍中の木村眞由美さんに、そのファッションセンスの源や神戸ファッションのレジェンド、そしてひとりの女性としてのライフスタイルについて伺いました。

PROFILE

きむら まゆみ

1937年広島県呉市生まれ。教師であり、ハイカラな母の影響で、少女時代よりファッションに興味を持つ。日本女子体育大学卒業後、広島で体育教師を数年勤めたのち、結婚により神戸に移住。次男が生まれるまで中学校の教師を勤める。その後、1974年にインポートを中心とした子ども服の店「花の木」をオープン。三宮、東京などに数店舗を展開する。現在は三宮本通り商店街に子ども服と大人女性のための服をラインナップした「hananoki」を運営中。その傍ら、2015年よりInstagramを始め、自らのファッション・コーディネートを発信。そのファッション・センスやこだわりをまとめた著書『私はわたし、80過ぎてもおしゃれは続く』『私はわたし、Age83のストリートスナップ』(KADOKAWA)も好評で、 全国にファンが広がっている。

@kobehananoki

60代はオバサンとマダムの境目。「私はわたし」をおしゃれの哲学に。

――インスタグラマーなんて皆さんからおっしゃっていただけますけれど、私は今年もう84歳ですから。この歳になるとシワやらシミやら、いらないお土産もいっぱいでね。笑 

でもね、今の女性のみなさんは諦めが早いと思います。60代になると白髪は増えるし、シワもできるし、そうなると「私なんて…」と思うようになって、どんどん坂道を下って行ってしまうの。

でもそこがオバサンとマダムの境目なのね。私が言いたいのは、「これからちゃうのん?」ということ。その年齢からこそ、本当の意味でファッションを楽しめるんだと思います。

60を過ぎると、子育てや社会のいろんな役割から開放されて、もう人の目も気にする必要もなくなるでしょう? だから「私はわたし!」って胸を張って、ひとりの女性として本当に自分が好きなおしゃれを楽んでいただきたいわ。オバサンではなく素敵なマダムを目指しましょうよ。その方が楽しいじゃない?

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ファッションは人生の積み重ね。失敗して上手になれる。

――普段はユニセックスな感じのデニムと、シンプルなニットやシャツ、コートにスニーカーというスタイルが多いですね。私の基本はスタンダードなおしゃれ。流行りものに飛びつくというのではなく、ベーシックなものをかっこ良く組み合わせるのが好きです。

かといって、ブランドものや定番のものばかり着るわけではなく、街をぶらぶら歩いていて「あら、いいわね!」と思ったお店にはすぐに入ってみます。若い人のお店だって気にしません。どんどん入って行って店員さんに「私の履けるサイズ、ありますか?」と聞いちゃう。その度胸は大切ね。この『ハツキ』のデニムも、そんな街ぶら歩きのときに出会ったんです。

あと、アクセサリーも大好きで、いつもジャラジャラつけています。「これがなかったら風邪ひきますねん!笑」なんて言ってね。アクセサリーいっぱいつけると元気が出るでしょう。見た方も元気になっていただけたらいいなと思って。

ヘアスタイルは、もう何十年もずっとこのシニョン・スタイル。自分でも鏡を見ずにできるぐらい簡単なのよ。ファッションは自分の人生の積み重ね。失敗もしてきたからこそ、センスが磨かれるのだと思います。

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アメリカの少女雑誌や洋画を見ておしゃれを学んだ青春時代。

――おしゃれの基本は、学生の頃、アメリカの少女雑誌『Seventeen』を読んで学びました。母は教師でしたがとても進歩的な人でね、当時は貴重で高価だった洋書の雑誌をわざわざ取り寄せてくれていたんです。

というのも、高校生のときに三羽烏と言われた仲良しのお友達がいたんですけれど、お友達はとても美人さんだったのでモテモテ。私はいつも彼女へのラブレターの渡し役で…まるで少女マンガみたいでしょ笑。そんな私を見て、母が「あなた、もっとおしゃれして頑張りなさい!」と応援してくれたんです。

他に映画もたくさん見ました。高校生の頃は洋画に夢中になって、アラン・ドロンの『太陽がいっぱい』とかを学校をサボって見に行ったこともありました。そこで学んだ女優さんの着こなしにも、たいへん影響を受けましたね。

もちろん、学校からは「前代未聞」ということで叱られましたが、母は「いいじゃない、別に悪いことしたわけじゃないわ」と言ってくれて。母は私をとても自由にのびのびと育ててくれました。

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ここが私の住むべき場所!夫そして神戸との運命の出会い。

――幼い頃からずっとクラシックバレエを習っていたので、高校生の時に当時、まだ日本で始まったばかりの新体操部に誘われて入ることになりました。得意な種目は床運動で、県大会などでも良い成績をいただくことができたので、東京の体育大学に進学。当時は学生運動も盛んな時期だったので、私も他大学の男子学生と一緒になって活動に参加したりもしました。日本中が血気盛んな時代だったんですね。

そして卒業後、故郷の広島に戻って教師になり、何のご縁かそこで神戸出身の夫と出会いました。夫はおっとりと穏やかな性格で、それが時代の激動の中に生きていた私にとってはとても新鮮でした。そこから神戸と広島の遠距離恋愛が始まり、結婚が決まって神戸に行くことになったんです。

最初に神戸に来た時の印象は、衣・食・住の全てにおいて「おしゃれな街やなあ!」の一言に尽きます。東京にも暮らし、大阪も知っていたけれども、私に一番ピタリと来たのは神戸。ここは私が住むべき場所、私はここで生きていくんだ!と夢に溢れたのを覚えています。

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子ども服に自由を!セレクトショップを始める。

――その後、中学校で教師をしながら長男を育て、次男が生まれた時に仕事をやめて育児に専念することにしました。そこでもまた、私のおしゃれ心がムクムク。子育てをしながらずっと感じていたのは、「子どもたちに着せたいおしゃれな服がない」ということでした。

当時の日本の子ども服は、短い半ズボンに襟のついたシャツを着せて、白いハイソックス、エナメルの靴を履いて…というのが正装。「汚しちゃダメよ!」と親に怒られながら、子どもたちも堅苦しい想いをして洋服を着ていました。

でも、私が子どもに着せたいのはそれじゃなかった。本来、子ども服ってもっと自由であるべきじゃないの? なぜ神戸にはそういう服がないの? だったら自分でお店を始めよう、神戸で子ども服のカタを破りたい!そんな想いから、35歳のときに大丸前に子ども服のセレクトショップ「花の木」をつくりました。

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東京、そしてニューヨーク。カタ破りな子ども服を求めて。

――始めた当初は東京の原宿や六本木まで服を仕入れに行きました。当時、私の好きなアメリカンカジュアルを扱っている仕入れ先は関西にはなかったんですね。学生の頃からそうなんですが、何でも「カタ破り」が好き!笑 教師としてせっかく子どもたちと向き合う仕事をしてきたのだから、子どもたちを今度はファッションでカッコ良く見せたい、そんなふうに思っていたんですね。

ところが、アメリカの雑誌に載っている子ども服を見ていたら、もっとカッコいい服がいっぱい。だから東京では飽き足りずに、80年代になると本場ニューヨークの展示会にも行くようになりました。今ではメジャーになったラルフローレンやモンクレールの子ども服も、日本で初めて販売しましたね。ナイキやラコステの赤ちゃん用のアイテムなど、話題になって日本のあちこちから見に来られるようになりました。

その後、みんながアメリカに仕入れに行くようになって同じような商品が出回り始めたので、今度はヨーロッパへ。40〜50代のころはパリを中心に各国を駆け巡り、いろんな商品を仕入れて、本当に楽しかったわ。

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子育てママからおばあちゃんへ。お客様の成長とともに店も進化。

――もちろん二人の息子たちにも、小さい頃からおしゃれをさせましたよ!ボタンダウンシャツ+Gパン+ナイキが彼らの普段着。今では当たり前のスタイルだけれど、40年前はとても珍しかったんです。VANの子ども用の赤いパンツも履かせましたね。そうしたら、学校で「赤パン」っていうニックネームがついたそうですが。笑

そんな息子たちは二人ともに個性的に育ってくれて、ロサンゼルスに留学してカフェ文化を体感したことから、震災後、オープンエアカフェの草分けである「Mother moon Café」をつくったり、いろんな飲食店を神戸につくって経営していますね。

そして私の店も、お客様である子育てママたちの年齢が上がり、やがておばあちゃんになり…そんな時の流れの中で大人のためのおしゃれ着も取り扱うようになりました。子ども服の仕入れの時に買って来た大人服がお客様の間で評判になり、そこから、子ども服とマダム服のセレクトショップ「hananoki」のスタイルにリニューアルされました。

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「ええカッコしい」が溢れていた’60〜’80年代の神戸。

――60〜70年代の頃の神戸には、まだ外国人向けのお店がたくさんあったんです。実際、外国人の方もたくさん住んでおられましたから。特にトアロードは私の憧れがぎゅっと詰まった場所。アメリカ製の冷蔵庫、洗濯機、何でも揃っていましたから、我が家も家電製品は全てアメリカ製に。輸入雑貨店の「ミッチャン」では可愛い缶を目当てにキャンディーを買ったり。車もアメ車のオープンカーに夫と乗っていましたので、ちょっとしたアメリカかぶれでしたね。笑 でも外国からいい影響をたくさんもらったと思います。

ファッションもみんないい意味で「ええカッコしい」で、自分のファッションを「ドヤ」と言わんばかりに自信を持って着こなしていました。ピカピカに輝いている人を見ると、憧れてまねしたりして、おしゃれが広がって行ったのだと思います。

また、その次に来た80年代のバブル期には、神戸もアパレル業界が全盛で、私もお給料が入るとすぐにファッションに投資していましたね。「あなた何買ったの?私も買うわ〜!」といった感じで、口コミでどんどん物が売れていった時代でした。

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今の神戸ファッションは地味すぎ!世界におしゃれな神戸を発信しましょう。

――私は仕事を通じてたくさん海外に行きましたが、海の向こう側からしか見えてこないことがあるのね。だから今の若い方々も、もっと外側の世界にも目を向けて欲しいなと思います。確かに今は情報が豊富になったので日本のファッション雑誌やインスタグラム、外国のストリートスナップの雑誌などもたくさんあって、おしゃれ上手なマダムが増えたんじゃないかと思います。

それはとってもいいことなんだけれど、今の神戸のファッションは、私の感覚では何とも地味ね。ナチュラルでさり気ないのは素敵なことだけれど、もっと積極的におしゃれを楽しんで欲しいと思います。ちょっと個性がなくなって来たという感じかしら。洋服、アクセサリー、ヘアスタイル、メイク…お金をかけずとも自分に工夫を凝らすことで、まだまだ輝くことはできるはず。「ええカッコしい」がもっと増えていただきたいわ。さっきも申し上げたけれど、「私なんて…」とシミッタレないで。私、「シミッタレ」が大嫌いなの!笑 

神戸のみなさんひとりひとりが素敵になって、それを全国に発信していただきたいんです。全国から憧れられるおしゃれな街・神戸…時代が変わっても、そのプライドだけは無くしちゃダメでしょう?

SHOP INFO

Kobe hananoki

住所:神戸市中央区三宮町2-8-8
☎︎078-331-8769
営業時間:11:00〜18:00(土・日曜12:00〜) ※コロナ期間中のみ短縮営業
定休日:水曜。

【文】中山阿津子(編集者 / クリエイティブディレククター / フードスタディリサーチャー)

六甲山の麓で生まれる。中・高時代を王子公園、大学時代を岡本近辺で過ごし広告制作会社のコピーライターに。独立後、米国サンフランシスコでライターとして活動。帰国後、北野で編集・制作会社を運営。現在はフリー編集者、クリエイティブディレクターとして神戸をテーマとした観光情報誌・食情報誌・レシピブック・動画などの企画・編集を手掛ける。また近年は持続可能な食・文化・社会を研究するフードスタディリサーチャーとしても活動。

【撮影協力】マザームーンカフェ 三宮本店

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