お問い合わせ サイトマップ
コンテンツ
歴史の流れ 神戸源平史跡巡り


歴史年表

1086 応徳3年 白河天皇が上皇となって院政をはじめる。
1098 承徳2年 源義家が白河法皇から院の昇殿を許される。
1129 太治4年 平忠盛が瀬戸内海で海賊を討つ。
1155 久寿2年 近衛天皇がなくなり後白河天皇が即位する。
1156 保元1年 保元の乱が起こり崇徳上皇讃岐に流される。
1158 保元3年 後白河天皇が上皇となり院政をはじめる。
1159 平治1年 平治の乱が起こり平清盛が勝利をおさめる。
1160 永暦1年 源頼朝が伊豆に流される。
1164 長寛2年 平清盛が厳島神社に「平家納経」を奉納する。
1167 仁安2年 平清盛が太政大臣になり、平氏がもっとも栄える。
1177 治承1年 鹿ケ谷事件で俊寛ら鬼界ケ島に流される。
1180 治承4年 平清盛の孫、安徳天皇が即位する。
源頼政が以仁王を奉して挙兵する。
宇治川の戦いで源頼政が破れ、以仁王も亡くなる。
平清盛都を神戸の福原に移すが、ふたたび京へ戻す。
1181 養和1年 平清盛高熱を出して亡くなる。
1183 寿永2年 源義仲倶利伽羅峠の戦いで平氏を破る。
源義仲篠原の戦いで平氏を破る。
源義仲京都に入り、平氏は都を捨て西海へ逃げる。
源頼朝義仲を討つために範頼と義経を派遣する。
1184 寿永3年 源義仲敗れて戦死する。
一ノ谷の戦いで平氏は破れ屋島へ逃げる。
1185 元歴2年 屋島・志度の戦いで平氏は破れ壇ノ浦へ逃げる。
壇ノ浦の合戦で平氏は敗れ滅びる。
源頼朝全国に守護・地頭をおき、鎌倉幕府の基礎を築く。
1189 文治5年 源義経奥州衣川の館で藤原泰衡に襲われ自害する。
源頼朝、藤原泰衡を討ち奥州藤原氏を滅ぼす。
1192 建久3年 源頼朝征夷大将軍となり鎌倉幕府を開く。
鳥羽上皇
平家納経「観普賢経」
建礼門院「徳子」
安徳天皇

 歴史年表を見ますと、記載されていませんが平清盛は、忠盛の長子として、1118年に生まれ、1146年には正四位下の安芸守になっています。
 そして1156年の保元の乱から平治の乱を経て、11年ほどで太政大臣となり、平家が最も栄華を極めた時代といえます。
 そして14年後の1181年に没しています。
 1181年の平清盛の死後、平家は凋落の一途をたどり、1183年に源義仲が京に上洛しますが、翌年には源頼朝に討たれ、源平の合戦へと進んでいきます。
 そして、1185年、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡することになり、その4年後の1189年、義経は頼朝に追われ、奥州の衣川で自害し、1192年に源頼朝は、征夷大将軍となり鎌倉幕府を開くことになります。